1月 2015 - Milliard

ビジネス書を通して「人を率いるなら〜」的なものはブログとかコラムよく見かけるのになぜ誰も『ホビット 決戦のゆくえ』の例を出さないのか。娯楽映画と思うものに人生の糧となるヒントがたくさんあるものですよー。


『ホビット 決戦のゆくえ』のトーリンは執着という失敗をする

1月15日現在まだ劇場公開中のホビットシリーズ最終章『ホビット 決戦のゆくえ』。
レビューはこちら


『ホビット 決戦のゆくえ』のホビットの主役的位置のトーリン・オーケンシールド。彼は王様なわけですが、『ホビット 決戦のゆくえ』ではやっとの思いで取り戻した王国の権威に執着する様が描かれます。

シンプルにまとめると以下のようになります。
1:やっとの思いで元々なる予定の地位に遅れて上り詰めた

2:その地位(権威)の証となる伝統の宝物が見当たらない

3:それを部下たちに探すように命じるも見当たらない

4:部下たちの誰かが盗んだと被害妄想を始める

5:部下たちへの当たりが強くなる

6:部下たちの心が離れていく、「王様どうしちゃったんだろう」と失望を買う

7:「従わないのかお前ら!」と負のスパイラル


ざっくりですがこんなものが描かれます。これ今書いてて思ったんですが北朝鮮の金正恩第一書記ってこれに近い状態ではないですかね。韓国映画の『王になった男』もこういう皇帝が描かれています。


失敗の先、ぎりぎりのところでトーリンは我に返れた

『ホビット 決戦のゆくえ』では権威に執着して負のスパイラルに陥ったトーリンがちゃんと我に返って復活を遂げます。

権威に執着して見失っていた目的を思い出したのです。その先で彼が何をしてどういう結末を迎えたのかは是非映画を見て確認してほしいです。

この世に無数に存在する映画には無数の主従関係が存在します。それらは物語なわけですが、物語というのは一種のケーススタディになります。それを自らの立場に還元して現実世界で参考にすることができるのです。

私はたまたま映画が好きになって映画から様々なものを学べるようになりました。

ビジネス書やセミナーから学びつつ、映画というものもビジネス側面での学びとする方が少しでも増えたらなと願いつつこういう記事もっと書いていければと思います。

おしまい。




facebookが当たり前レベルで普及してきてるので減ってはいると思いますが「facebookやるなら『ソーシャル・ネットワーク』って映画を見てイメージすると良いよ。」とかやめてほしいですねw



『ソーシャル・ネットワーク』ほとんどフィクションですからね

まず確認しておくと私は『ソーシャル・ネットワーク』を超傑作映画だと思ってます。今まで数千本見てきた映画の中でベスト30に入るほどの。これをまず明確に宣言しておきます。

しかしあの映画、ほとんどフィクションというか事実では無いんですよね。この辺り私の映画ブログであるA LA CARTEの方に色々書いてあるのでちょいと引用してみます。



この映画マーク・ザッカーバーグに取材しないで製作されました。は?って感じしますよね。どういうことかと言うと途中で追放食らってたエドゥアルドの取材を元に製作されたのです。
引用:http://www.cinemawith-alc.com/2013/11/sn-3.html


映画『ソーシャル・ネットワーク』は負け犬エドゥアルド側からのエピソードであって、かつフィクションエピソード多数。これ必ず頭入れといてください。
ちなみに厳密には原作を映画化したのではなく、原作のエピソードの取材メモを元にアーロン・ソーキンが脚本化したようなので原作と異なる部分はそれ故です。
引用:http://www.cinemawith-alc.com/2013/11/sn-3.html


事実と異なるエピその1:エリカは実在しない。
事実と異なるエピその2:途中ナンパしてトイレでヤってたアジア系の女の子と結婚した(ただしヤってたのもおそらくフィクション)

どうでしょうか?
エリカ存在しないんですよ!?あれフィクションですよ!?
そう考えるとこれを事実として捉えると諸々崩れ落ちるのわかりますかね?
オープニングはフィクションなんです。
誹謗中傷したのもフィクションなんです。
途中で闘争心持ってfacebook拡大してやる!って意気込んだあれもフィクションなんです。
最後の友達リクエストもフィクションなんです。
そういうことなんです。
フィクションとして傑作ですがフィクションなんです。
引用:http://www.cinemawith-alc.com/2013/11/sn-3.html


ってことなんです。

自分で書いておいて褒めるのアレですが、「フィクションとして傑作ですがフィクションなんです。」って表現良いですねw


昔の自分の功罪

っていつも通り少々偉そうに聞こえるかもですが、これは昔の自分へのお説教です。

facebookが少しずつ普及し始めたのが2011年1月頃。この時日本で『ソーシャル・ネットワーク』が公開、そして週刊ダイヤモンドでfacebook特集が組まれました。

それに乗じて少しずつ個人の仕事を開始していた私はfacebookスタートアップセミナー的なことを始めました。

昔からノウハウ的なものが嫌いなので堅実に「ちゃんと人柄がわかるようにしてくださいね。」とか「友だち申請ばんばんしちゃダメですよ車。」とか今振り返っても特に問題ない内容ではあったと思います。

しかし『ソーシャル・ネットワーク』を普通にこの時進めちゃってたんですね。映画があそこまでフィクションだと調査してなかったので「ソーシャル・ネットワークという映画、少しマーク・ザッカーバーグが傲慢ですがfacebookについてよくわかるので是非。」とか言っちゃったんですね。

あれダメですね。反省しております。


まとめ

『ソーシャル・ネットワーク』はフィクションなんです。映画として面白く、映画版ショーン・パーカーとか結構イケイケベンチャースピリットで見てるとモチベーション上がるので好きです。

でもフィクション。

なのでベンチャースピリット学ぶのはありですが、facebookの史実を学ぶ術にはしない方が良いでしょう。

どこがフィクションかのまとめとかあまり無いと思うのでばんばん引用したりウンチクとして話してもらってOKですw

映画として面白いですが、真に受けないようにしましょう。おしまい。




私社会人1年目までずっとSONYのVAIOシリーズのパソコン使ってました。んで、理由とか覚えてませんがMacに変えて今はMac/iPad/iPhoneユーザーです。Apple礼賛記事ではなく「食わず嫌いダメだよ」的な側面で今回は記事を書いてみます。


Macに変えるようとして断念した話

私社会人1年目はベンチャー企業にいたのですが、ほとんどの方がMacを使用していたんですね。で、流されやすい性格なので「よし!Macに変えよう!」とか思い立つわけです。

いきなり買うとアレなので週末にMac借りて試しに使ってみるところから始めました。そしたら…「すんげえ使いづらい!」となったわけですね。びっくりするくらい使いづらいw

それもそのはず、私Windows(VAIO)使ってる時ほとんどショートカットキー知らないくらいPC弱かったんですね。ショートカットキーわからなくて、クリックに左右無いMacとかもうちんぷんかんぷんなわけですw

それで「こんなの合わない!」と断念ですw

そこから半年Windowsでしたw


WindowsからMacへ乗り換えた友人の話から冷静に学ぶことに

WindowからMacへ乗り換えた友人と飲んでる時に

「ショートカットキーとか学ぶと超楽。」

「iPhoneの時と同じように最初だけだよきついのは。」

なーんて事を話してくれたわけですね。私iPhoneはブーム前の3GSの時から使ってまして、最初は使いにくかったですが徐々に慣れて手放せなくなった節があります。それと同じかと腹に落ちて乗り換えを決意しました。

それで最初の1〜2週間色々苦戦しながら学んでくわけです。そしたらショートカットキーも覚えるし、Mac特有の操作も覚えることができました。そしてそれから約4年、Macユーザーを続けています。


MacでもWindowsでもいいじゃない!

私はMacを使用していますが、「パソコンのMacかWindowsか議論」や「スマフォのiPhoneかAndroidか議論」には明確な答えを持っています。

その答えは「好きにすればw」です。いや本当に。どっちが良いかは人それぞれだと思います。


PCやスマフォに限らず食わず嫌いはチャンスを潰す

人生の様々な要素でそうだと思いますが食わず嫌いは時として大きなチャンスを潰すことになります。

「とりあえずチャレンジしてみる」精神で新たな可能性が広がることもあると思うので、その辺柔軟にチャレンジ精神を失わないで今後も生きていきたいものです。

と自分自身へ言い聞かせて今回の記事はおしまいにします。






ブログ記事の色付けの必要性に関して自分の失敗談からまとめてみます。


ブログで赤青黄とか多色使う必要性について

この世には無数のブログが存在しています。まず前提条件として「好き勝手やってるブログ」は独自ルールで全然良いと思うのでこれから書く内容は関係ありません。

私昔アメブロを使っていたんですが、ブログの記事に色をたくさん使ってたんですね。

・赤=最重要
・青=重要
・黄=注目

とか何かそんな感じで。

昔の自分に向かって突っ込んであげましょう。

「それ、読者に伝わってねーよwww」

ダメですねえ、こういう自惚れ一人よがりなルールはw


ちゃんとブログを運用したいならするべき1つの自問自答

ブログで多色使用されてる方それなりにいらっしゃると重いますが、読者を大切にしていてビジネスやその他で多くの人へ発信していきたいのであれば以下の自問自答をしてみてください。

「その複数の色使い、初めて訪問してくれた読者さんに意図伝わってますか?」

これが「NO」ならもっとシンプルな色使いにすべきです。

例を示しておきましょう
・普通=黒字
・重要=赤字

もしくは
・普通=黒字
・重要=黒字で太字

これくらいで良いと思います。シンプルに瞬時に何が重要か伝わるようにした方が良いのです。


見やすさは色の使い分けだけではなく字体とか字の大きさとか

私のブログは文字の大きさ16pxで、字体がメイリオです。それぞれ価値観あると思いますがまあ割りとスタンダードな感じの設定ではないかなと思います。

アメブロだったりその他ブログで設定をいじらないとブログの文字の大きさもう一回り小さいんですよね。ちょっと見にくいです。

私はデザインに関して専門では無いので細かいところ知ったかで書くつもりはありませんが、色分け細かくこだわるよりも全体の見やすさなど検討すると良いかもと思っております。


まとめ

「その複数の色使い、初めて訪問してくれた読者さんに意図伝わってますか?」

これを自問してみましょう。どこから聞いたかとか自分で考えたか思い出せないのですが、大切な問いです。シンプルにわかりやすく、初めてくる読者さんを大切にすること。

そうやって見やすく、リピーターを囲えるブログやコンテンツにしていくと良いでしょう。

おしまい。


毎月100人規模のイベントをやってるからか最近「柳下さんイベントの集客が伸びないんですがどうしたら良いですか?」と聞かれることが多いです。ノウハウ的なものは置いておいて、そういう時に必ず質問する事を今回は書いてみます。



質問「そのイベントを通して参加者の方に感じてほしいことは何ですか?」

小見出しの通りです。「参加者の方にどう感じてほしいか。そもそもそういうことちゃんと考えていましたか?」ということを聞くようにしています。

例えば私が毎月主催している「映画ファンの集い」ですが、こちらありがたいことに100人の定員を毎回締め切るんですね。

「映画の話で笑顔になれる。」

「主役は参加者のみなさん自身。」

「映画が詳しくても詳しくなくても、ここに来れば仲間と笑顔で話ができる。」

こういったコンセプトの元にイベント毎月開催してます。要するに「楽しい時間」を提供して「来月もまた月末楽しみに凄そう」と思いながら帰って頂きたいわけです。

完璧な運営はまだまだできてませんが、コンセプトや願っていることはこのように明確です。

これと同じようなビジョンを思い描いているかどうか。これ意外と適当な主催者多いのが現状です。


イベントを開催する自分たちに自惚れをするな

上記の質問に答えられないのにイベントコンセプトだけやたら気合入ってるものとかよく見かけますね。

「会場は◯◯を使って、それで当日は証明を✕✕で〜」

「今回のコンセプトは△△なので□□な雰囲気で〜」

「◎◎さんを呼んだので今回は〜」

とかそういうやつ。自惚れかって思うわけですね。


こういったコンセプトはイベント準備をする上でモチベーションになりますし、考えなければいけないことではあります。

しかしそれが先行してしまっているイベントには「参加者見ないで自惚れしてんじゃねーよ」って思うわけですね。


悪く言ってるように見えるでしょ?これ昔の自分に言ってます。

「映画ファンの集い」復活の物語〜1回潰れかけたからこそ、ここまできた。もう潰すわけにはいかない!〜

こちらの記事で書いたのですが、「映画ファンの集い」は一度潰れかけてるんですね。それは人数が自然と増えてきてあれこれ自惚れして選択肢を広げすぎたためです。

つまり「参加者見ないで自惚れしてんじゃねーよ」は誰かを指して言ってるのではなく昔の自分へのお叱りでございます。

イベント運営は楽しみながらやるべきです。遊び心がオリジナリティを生み出すからです。しかし自惚れして「今度は◎◎コンセプトで!」とかを優先させてはいけません。

まずは「そのイベントを通して参加者の方に感じてほしいことは何か?」なのです。

実は仕事も受験勉強もそうで、目的を失うと結構結果がズレることがあります。私大学受験は「予備校で頑張ってる自分凄え」的なアホみたいな思考が正直ありました。そりゃ第一志望受からんわw

というのはまあ余談ですが、とにかくイベントをやるからにはちゃんと「何を感じてほしいか」考える事。そうしないと理想とズレて「何でオレ頑張ってるのにみんなそんなこと言うんだよ。」とか意味不明なことになるのです。なってるの見たことあります←

「そのイベントを通して参加者の方に感じてほしいことは何か?」

イベントで苦戦してる時はこれを必ず自問自答するようにしてみてください。

おしまい。


今回は「成功者になりたいと思いませんか?」「成功者はこうやってるんですよ。」とか色々言われても「失敗から学ぶ人生を歩み続けたい」と思ってるというお話を経験談交えて書いていきます。


※本記事ではネットワークビジネスの例を出しますがネットワークビジネスを否定する意図はございません。


ネットワークビジネスの勧誘でよく「成功したくありませんか?」と言われた

私は現在フリーランスの立場なので様々な方とお会いします。仕事に繋がらなくても小さなご縁が未来を生むこともあるので、余程変な誘いでなければ会うようにしています。

その中で「仕事のお話を。」という切り口でネットワークビジネスに誘われることも少なくありません。全てを否定するつもりは全然無いのですが、性に合わないのでこういうのはお断りしています。

で、勧誘されるのは「NO」と言えるので全然構わないですし、話がうまいとその話術から学ぶこともあるのであんまり問題視してません。

ただその中で疑問に思うことがありまして、それが「柳下さんは成功者になりたいと思いませんか?」という誘い文句。

これ2つの理由から「ちょっと違うんでねーの」と思うわけです。


違うと思う理由1「失礼だろw」

まず1つ目は半分冗談での理由。

「柳下さんは成功者になりたいと思いませんか?」ってつまり「柳下さんは失敗者です。成功者になりたいと思いませんか?」ですよね。初対面でそれ失礼だろと思うんですけどもw

これ3人くらいに言われたことあるんですよね。3人とも別の会社でしたけど。ただまあ目くじらを立てることでも無いのでとりあえずこう返すんですね。

「成功って何ですか?」

それに対して自信満々で色々説明してくれる人と「ぐぬぬ・・・」となる人がいました。「ぐぬぬ・・・」な人は出直して来いという感じですね。

説明してくれる方の場合は厄介にならない程度で話聞きます。傾聴力ある人だと話してる分には学びになるので無駄な時間と感じることはありません。


違うと思う理由2「失敗の積み重ねは成功になりませんか?」

ネットワークビジネスに関しては性に合わないだけなのでまああれこれは無いですし、むしろそれで儲けてる人はちゃんとできてて凄いなあと思う感じです。

ただ「柳下さんは成功者になりたいと思いませんか?」に関しては疑問です。

「失敗の積み重ね。経験の積み重ね。そういったもので成長していく人生はダメなんですかね?本の学びやセミナーの学び、マニュアルの学びも悪くはないけれど、失敗して叩き上げで成長していくのも悪くないんじゃないですかね?」

私はそう思うわけであります。


ブログもコンテンツ運用も仕事も恋愛も人生もそう

ここまで例に上げた「柳下さんは成功者になりたいと思いませんか?」は要するに「ネットワークビジネスを使って経済的&時間的自由を手に入れたくありませんか?」なわけですが、まあ性に合わないので遠慮しますという感じです。

で、私の考えというか個人的スタンスである「失敗の積み重ねで成長したい」というものですが、これってネットワークビジネスだけでなくブログ運用やコンテンツ運用、仕事も恋愛も人生そのものもそうでは無いですかね。

失敗することで次はこうしようという考えや対処法が身に付いていくのです。もちろん人や本からの教えも得つつ取り返しの付かない失敗はしないようにしたいですけどね。

恋愛なんかもね、マニュアル呼んでデートする暇あるなら1〜2人振られて経験して学んだ方が良いと思いますね。ん?そもそも1人も恋人ができないですと?

何か暗い話になってきそうなのでこれ以上突っ込むのは止めておきますね…。

一先ず「失敗して学んで人として成長していきましょう」と言うことが言いたいことです。

おしまい。



大学生の頃のお話です。「謙遜しないで感謝するように。」ってある方に言われたんですね。それから自然とそうし続けているというお話を経験談メインでちょっと書いていきます。


「そんなことないですよ。」ではなく「ありがとうございます。」に


相手「◯◯さんて凄くデキる人ですよね。尊敬してます。」

自分「そんなことないですよ〜。」


これを私は大学生の時修正して


相手「◯◯さんて凄くデキる人ですよね。尊敬してます。」

自分「ありがとうございます^^」


にしたんですね。まあインターン的なこととか色々しててそれで学んだ感じです。

褒められるととりあえず「そんなことないですよ。」と口から出る方多いと思います。私もずっとそうでしたね。内心喜ぶこともあれば疑問に思うこともありますが、とりあえず口から出るのは「そんなことないですよ。」という。

これは別に悪いことでは無いですしむしろ普通でしょうね。日本人は遠慮や謙遜しちゃうタイプなので。しかし「ありがとうございます^^」にしてからの方が諸々良い感じです。その理由は次の章にて。


気持ち的にも楽だし、会話も弾む

「そんなことないですよ〜。」から「ありがとうございます^^」にしてから気持ちも楽になりました。

例えば「カッコいい」「可愛い」「デキる人」「尊敬してる」なんて色々褒められて「そんなことないですよ。」って冷静に考えるとそんなこと無くない場合嘘を返してることになるんですよね。

それを「ありがとうございます。」にしたら、どう思ってようとまずは相手の発言を尊重することになりますし、その後の会話も弾みやすくなります。

社交辞令で相手を持ち上げることもあると思います。その時「そんなことないですよ。」言われるとイラッときたりもするんですよねw

「そんなことないですよ。」は相手の発言を実は否定してます。「ありがとうございます。」は尊重してます。そう考えると「ありがとうございます。」の返しって実は凄く良いものだって思いませんか?


まとめ

相手から賞賛を伝えられた時の「ありがとうございます^^」。「そんなことないですよ〜。」だと会話も折れちゃいますし、「ありがとうございます^^」はその場を和ませてくれます。

笑顔で「ありがとうございます^^」言って、「◯◯さんも〜」「◯◯さんは〜」と相手の良いところも褒めてあげればビジネスでもプライベートでも心の距離が縮まるのではないでしょうか。

小さくも大切な「ありがとう」。これからも初心忘れるべからずで変な否定とかしないで日々感謝していきたいなと思ってます。



あけましておめでとうございます。Milliardの方は本日より新年稼働させます。今年はA LA CARTEとのデュアルメインブログ体制構築できればと思っておりますのでどうぞよろしくお願い致します。

A LA CARTEは映画メインで「紹介する」ブログ、当ブログMilliardは「論じる」ブログとしてどっちも成長させていければと思っております。



さて、本日のお話は「新年の目標を細分化して設定してしまうと偶然のチャンスを活かせなくなるよね」ということです。自分の例を用いて話しますね。




私の昨年の最大の功績「映画ファンの集い」は偶然を成長させたもの

私は現在月に1回最終土曜日に映画ファンを集めたオフ会の派生型イベント「映画ファンの集い」を主催しています。賛否はありますが、今では1ヶ月前には100名の参加枠が埋まる人気イベントになりました。

→【シネマトゥデイ】映画の話がいくらでもできる幸せ!大盛況の「映画ファン大忘年会2014」に潜入!

→【自著記事】「映画ファンの集い」復活の物語〜1回潰れかけたからこそ、ここまできた。もう潰すわけにはいかない!〜

→【自著記事】「映画ファン大忘年会」開催レポート!〜120人で映画を語り笑った4時間〜


このイベント「よし、映画好きのイベントを立ち上げよう」とか真面目に考えたイベントではありませんでした。

事の発端は昨年の第86回アカデミー賞受賞式。司会のエレン・デジェネレスがピザをデリバリーして会場に配ったエピソード(通称:ピザ事件)。

それを見て「映画好きでピザ食べたくない?www」とか軽はずみでツイートしたことが全ての発端。それでフォロワーさんを集めて40人くらいでピザパーティーをしたんですね。それが全ての始まりでした。

そこから紆余曲折、挫折もありながら3ヶ月連続で100人の集客ができるようになりました。1月のイベントも110名締切、2月のイベントもまだ2ヶ月先なのに既に定員の半数の50名を集めることができています。

数が全てではありませんが、イベントを成長させることができたということは取り巻く環境や集客状況、満足度やリピート率等の結果として示せているかなと思っています。

完全なる偶然のチャンスを活かして、全く携わったことのない映画イベントを自分で持つことになったわけです。


ライフハックは大切だけれど余白もあると良い

ライフハックが趣味であらゆるガジェットやアプリ、そして何よりも意志の力で日々の生活を充実させている人が私はとても羨ましいです。フリーランスの私は朝6時とかに起きることさえ苦痛なほど意志が弱いんです。アプリ知ってても起きれないものは起きれないのです。

ただ、その分、私は意志の力が弱いからこそ時間の余白や思考の余白ができていました。その余白を「映画ファンの集い」というイベントの運営や企画に注力させることができたのです。

毎月100人規模のイベントの運営、しかも満足度を毎回越えていくのは正直言ってかなり時間的にも精神的にも大変です。これは片手間では正直できないレベルになってきていて、仕事ではないにしろある程度自分の中で大きな要素になりました。

その分重要度の低かった趣味だったり、必要のない娯楽的なものを潰したりと良い意味で時間の置き換えを行ったのです。

「これは時間もお金もアイディアも色々とかけるべきだ!」
と思った時に年初の目標やライフハックが弊害になってしまっては元も子もありません。

なので頑なな意志も必要ですが、ほんの少しの軌道修正力も必要なのではないかなと思うわけであります。


軌道修正と優柔不断は違う

仕事でも恋愛でも人生そのものでも軌道修正するのは良いことだと思いますが、あっちいったりこっちいったりの優柔不断とは違うと思ってます。

軌道修正で大切なのは望んでる結果やゴールや思いは変えないことです。これすら変えてしまうことを優柔不断と言います。

私の「映画ファンの集い」は、「これは映画を取り巻く人々やファンにプラスになる」と思ったので時間を割くことにしたのです。それまでブログA LA CARTEを通して映画が好きな人を増やしたい、繋げたいと思っていたのでその延長線の思いを変えずに選択肢を増やしたわけですね。

軌道修正と優柔不断、この違いを頭に入れて今年も諸々うまいこと新しい結果を残していきたいなと思っております。

おしまい。